カープと私
よくネット上でカープファンになったきっかけなんて書かれていますが、正直私は気づいたらカープファンでした。
広島に産まれて広島に育ったわけで、周囲はカープ一色、カープファンになるのは自然の流れでした。(まあテレビ観戦メインでたまに球場に行く程度でしたが・・・)
そんなわけで、カープがファンになるきっかけになった試合とか、選手のプレーというものはありません。
選手がどうのとかプレーがどうのと言うよりもカープというチーム自体が好きという感じです。
ですから基本的にカープに入団した選手は好きですが、最近は特別好きな選手もおらず、好きな選手を聞かれてた時には少々困ってしまったりもしますw(強いて挙げるならば、梅津、今村あたりかな・・・)
ただ、最近と書いたからには昔は特別好きだった選手もおりまして、それは野村謙二郎選手でした。
私が野村選手を明確に認識したのは、1991年(平成3年)のカープがリーグ優勝を達成した年です。
それまで私は、高橋慶彦選手など名前を知っている選手はいましたが、幼稚園~小学校低学年のという時期であった為よくわからないまま応援していました。(ヨシヒコは足が速いとか、球場行ったときに顔わからないけど長嶋が出てきた。とかそういうレベル)
そしてその後、やっと選手個々のことが少しわかるようになった時に大活躍していたのが野村選手でした。
当時三年目だった野村選手は遊撃を守りながら三割を越える打率を残していて、すぐにあこがれの選手となりました。 中国新聞のスポーツ欄で毎日野村選手の打率をチェックして、今日は1厘上がったとか言ってニヤニヤしていたのを思い出します。
また、プロ野球ファンなら、野村選手というと一番打者というイメージを持たれる方が多いと思いますが、当時は三番を打っていたので、私の中ではけっこう三番打者のイメージもあったりします。
とまあそんなわけで野村選手には特別思い入れがあったわけですが、2005年の引退試合の際には、それまであまり観戦に行ってなかった私が、これは観戦に行くしかないだろうということで夜行バスを使って(当時は県外に出ていた。バスの中には同じ目的と思われる人がちらほらw)球場に行きました。
もうスタメン発表の時点で泣きそうで、応援中は止まらぬ涙。引退セレモニーのスピーチでまた涙。正直こんなに涙することになるとは思いませんでした。
そして、このときのスピーチを聞いて、もっと球場に行こうと思ったのでした。
いままで書いてきたように野村選手には特別思い入れがあるので監督に就任してから、采配についていろいろと叩かれているのを聞くとなんとも複雑な気持ちになったり・・・(結果が伴ってないからわからんでもないんだけど)
山本浩二監督の二次政権のとき(2001年~2005年)の山本浩二選手ファンの気持ちがわかるような気がします。
なんだかまとまりの無い記事になってしまいましたが、ここではカープ球団、選手についていろいろ語ったり紹介したりしていきたいと思います。